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心に大宇宙☆

ENDLICHERI☆ENDLICHERI 堂本剛さんの応援ブログ☆基本ジャニ好きの独り言!
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12/17/14:41  ボーカリスト

先週金曜日の『金スマ』で、徳永英明さんの特集が組まれていた。
子供の頃のこと、学生時代、デビューするきっかけ、
そしてデビューされてからのこと、病を患い、復帰されるまでの流れを
VTR形式で紹介されていた。
徳永さんは、福岡県生まれで、中学生の時に、
父親の転勤で兵庫県に移ってきたと初めて知った。
中学の時は、ダウンタウン松ちゃんのお兄ちゃんと同級生だったという話が
有名なので、生粋の関西人だとばかり思っていた。
以前、『堂本兄弟』でも話されていた、天から「おまえは歌手になるんだ」
という声を聞いたという話もされていた。
徳永さんがブレイクするきっかけとなった曲「輝きながら・・・」が大ヒットし、
世間の注目を浴びるようになったことを、当時は喜べなかったと言われていた。
ヒット曲となった「輝きながら・・・」は徳永さん自身が作った曲ではなかったので、
シンガーソングライターとしてデビューしたにもかかわらず、
人が作った曲を歌って、売れていく自分に抵抗があったそう。
シンガーソングライター徳永英明という、しっかりとした根底があるから、
プライドが許さなかったんだろうな。
「輝きながら・・・」は、徳永さんにとって美しすぎる曲で、
当時は曲のイメージと、男前なルックスから、
綺麗な声の王子様と呼ばれるようになり、
本当の自分のイメージではないことに疑問を感じていたとのこと。
声帯ポリープ、そして、病に倒れ、歌手活動を休止された時のことを
徳永さんの口から聞くのは初めてだったので、衝撃でもあった。
自分の音楽を追求するために、個人事務所を設立されるんだけど、
自分の仕事に追われるし、社長として食わせないといけない
従業員も抱えてるという責任があり、とにかく疲れていたとのこと。
忙しさに疲れていたことが、病を引き起こす原因になったのかもしれない。
病を乗り越え、復帰されても、昔と変わらない素晴らしい歌声を
聴かせてくれるのは、天からボーカリストとしての使命を授かった証拠やね。
2週に渡って、徳永さんの特集が組まれていて、
予告で「最後の言い訳」を歌っていた。
私の大好きな曲なので、今週の金曜日も楽しみにしたい。
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無題

せいやさん、おはようございます♪
今年は、徳永さん大活躍の年になりましたよね~。ダウンタウン松っちゃんのあのお兄さんと同級生だったんですか?

天からの啓示で歌手になったって言う話を聞くと、歌手になる使命を帯びた人だったんですね~。ほんと、病気からまた復帰して第一線に戻って来られて良かったですよね。

徳永さんには、未だに「輝きながら」の王子のイメージありますよ~。自分的にはそれがイヤだったっていうのは、初めて知りました。どこかでチラっと読んだのでは、「ボーカリスト」の企画も、自分が作った歌じゃなかったから乗り気ではなかった、とか、詞が納得いかない歌は歌いたくないってことで、「恋に落ちて....」を歌うことを渋ってたとか、って読みました。かなり、男気のある方で、ポリシーを持っていらっしゃるんだなって思いました。外見と声だと、どうしても中性的なイメージを持ってしまうのですが、実際は骨太な人なのかもしれませんね。

今週金曜日、私も見れたら見てみようと思います♪

  • 2007年12月18日火
  • 編集
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